オーケストラ・ダスビダーニャ第19回定期演奏会のご案内

下記の演奏会のご案内です。

オーケストラ・ダスビダーニャ 第19回定期演奏会
~東日本大震災から1年~
日時 :2012年3月11日(日)13:00開場 14:00開演(16:30終演予定)
会場 :すみだトリフォニーホール大ホール
演奏曲目 :伊福部昭作曲:管絃楽のための≪日本組曲≫
D.ショスタコーヴィチ作曲:交響曲第7番≪レニングラード≫作品60
指揮 :長田 雅人

 演奏会は3月11日です。オーケストラ関係者ならご存知かと思いますが、ホールの予約というのは一般的に1年~1年半くらい前に抽選などによって決まります。すみだトリフォニーの場合は1年半前ですので、この日程は2010年の夏頃に決まっていました。
あの震災はこの後に起こっております。こちらにありますように、自粛すべきとのご意見もいただいていますが、やる事を決断しております。経緯についての詳細はそのリンク先をごらん下さい。

 ここでは曲についてご紹介してまいります。
 まず、伊福部昭の管弦楽のための「日本組曲」です。
 ダスビはショスタコ専門オケと言われています。こちらのサイトで見ると、なんと96%がショスタコーヴィチです(笑)ショスタコ以外だとモロソフと白川の作品を演奏しています。
今回の登録はない模様ですが、登録されると何パーセントになるんですかねwww
ま、それはさておき、ショスタコ以外を演奏するのは非常にレアなケースです。
 そこに至った経緯は上述のここに記載されます。

 こちらこちらなどに書いた通り、なぜか伊福部に縁がある今年度です(笑)
我々日本人の誇るべき大作曲家である伊福部。伊福部の最も有名な音楽は「ゴジラ」のものですね!


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 他にも日本人なら好んで毎年1回は演奏したくなるような素晴らしい作品をたくさん書かれています。
 「日本組曲」は19歳の時にピアノ曲として書かれ、77歳でオーケストラ編曲されたものです。「盆踊」、「七夕」、「演伶(ながし)」、および「佞武多(ねぶた)」の4曲からなります。「盆踊」はいわゆる盆踊りを題材にした曲で、盆踊りの華やかさを想起させます。「七夕」はもちろん七夕を題材にしたもので、日本の童歌を思わせるようなメロディーが何度も現れ印象深い緩徐楽章です。山の夏の夜のような涼しげな印象も受けます。「演伶(ながし)」は浄瑠璃の一流派である新内節のイメージがもとらしいです。いわゆる「流し」にも通じる独特の「流し」と呼ばれる形式を生んだ新内節は江戸情緒を代表する庶民的な音楽として知られますが、この曲も歌謡的な主部とリズミカルな中間部からなる非常に親しみやすいものとなっています。そして「佞武多(ねぶた)」は当然あの青森の「ねぶた」です。伊福部が大学時代の夏休みに弘前近辺の大鰐町で見物した弘前ねぷたが題材になっています。重々しい行進曲風の曲調から壮大なクライマックスへと徐々に盛り上がっていきます。なんと言いますか、日本人が共通して持っているであろう情感を表現しつくした実に偉大な作品です。日本人いいよなー。

 さて、もう1曲はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」です。通称である「レニングラード」は都市名ですね。スカンジナビア半島の左(西)側の付け根、バルト海の最も東に位置する都市です。そもそも、ピョートル大帝によってスウェーデンから奪取した土地に新都として造営されたものです。また、現在では観光地として有名な河口付近のペトロパヴロフスク要塞も同時並行で建設されていました。建都の際にはピョートル大帝と同名の聖人ペテロの名にちなんでオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフと名付けられました。のちにドイツ語風にサンクト・ペテルブルクとなり、ドイツと戦争状態になる第一次世界大戦の際にはロシア語風に「ペトログラード」となり、ソ連時代にはレーニンを称え「レニングラード」と呼ばれていました。ソ連崩壊後はまた再び「サンクト・ペテルブルク」となっております。建国時に当時の首都モスクワから遷都したという歴史があり、以来ロマノフ王朝の首都でした。ここで書いたように革命の舞台となるのもそのためですね。革命以来ずっと首都はモスクワになっています。

 ショスタコーヴィチが書いた頃はこの都市はもちろん「レニングラード」と呼ばれていました。そして、いわゆる「レニングラード攻防戦(包囲戦って呼び方はドイツ側的な気がするのでパス)」の真っ最中でした。これはドイツ軍によってレニングラードが900日間もの間包囲されたもので、ドイツ軍の空襲や、物資が届かないことによる餓死などで60万人から100万人もの市民が犠牲になりました。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回る壮絶なものであります。この当時のショスタコーヴィチは避難勧告にも従わず、レニングラードに残って消防兵として活動しつつこの曲を書きあげたらしいです。
 「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」とプラウダ上で作曲者自身が表明したということで「レニングラード」との通称がついています。

第1楽章 (「戦争」とのサブタイトルがあった)
生命力に満ちた「人間の主題」、美しい「平和な生活の主題」が、小太鼓のリズムが打ち破り、「戦争の主題」が突き進んでくる。ラヴェルの「ボレロ」に影響を受けたと言われる手法によって、執拗に流れます。
この戦争の主題、テレビコマーシャルによって圧倒的に有名になりましたね。

ドイツ軍による侵攻を表わしているとも言われるこの主題は最後は圧倒的な全合奏へと導かれます。その後、悲劇的な姿を示しつつ曲が終了します。

第2楽章 (「回想」とのサブタイトルがあった)
スケルツォです。オーボエなどの哀愁を帯びたメロディなどが特徴的。ユーモラスでありつつも全体的に哀愁が漂う。ペーソスとも表現できようか?

第3楽章 (「祖国の大地」とのサブタイトルがあった)
管楽器群による崇高なコラールにより始まる。祖国愛を表わすかのごとく叙情的で且つ明るい。

第4楽章 Allegro non troppo(「勝利」とのサブタイトルがあった)
勝利のフィナーレを表わすとされる楽章。

「タタタター」という音型が執拗に登場するが、モールス信号の「V」を表わすとされます。
つまり「サインはV」ですね。

ショスタコーヴィチが「サインはV」を見て感銘を受けてこの楽章を書いた!、とかではないので稲妻落としとかは出てきません(笑)この「V」というのは、「Victory」、すなわち勝利の意味で、第二次世界大戦時にチャーチル首相が、ヒトラーに対する勝利を誓う演説の中で、指でVサインを示したことがルーツだそうです。
また、「タタタター」のリズムの有名な曲はベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭がありますが、第2次世界大戦中、イギリスのBBCは運命の冒頭を流すことで勝利を祈願しつつ放送を開始していたという話もあるそうです。 ドイツの作曲家なんでドイツの勝利を祈願してしまいそうですが(笑)、ドイツ語だと「Sieg」とかだから問題ないんでしょうかね。知らんけどwwwベートーヴェンも「サインはV」を見て感銘を受けて、とかではないでしょう(笑)つうか、モールス信号より前の作曲のはず。。。
話の流れ的にマラ5流したらええかもと思いますが、「退廃音楽」やと国威高揚にはつながらへんですか、そーですかwww
思いっきり話それまくりましたが(笑)、曲はどんどんフィナーレへと突き進み「人間の主題」が全楽器で奏され、「サインはV」を鳴らしながら勝利宣言をして圧倒的に終わります。

ショスタコの交響曲の中で最も演奏時間が長い約1時間15分の大作です。

さて、作品の世界初演は1942年3月5日、臨時首都・クイビシェフにて行われました。初演後、クイビシェフで楽譜がマイクロフィルムに収められ、陸路でテヘランへ、その後カイロ経由で連合国側の国に運ばれたそうです。1942年6月29日にロンドン初演、1942年7月19日にはトスカニーニによってアメリカでラジオ放送が行われたそうです。アメリカ初演についてはトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーの3者で争奪戦が起こり「放送初演:トスカニーニ、公開初演:ストコフスキー、初録音:クーセヴィツキー」ということで決着がついたそうです。

このように、対ナチスの音楽ということで、戦争中には非共産圏であるいわゆる連合国側の国においても非常に評価され、熱狂的に迎えられていました。しかしながら、戦後は冷戦の劇化とともに作品の評価が非常に下がり、「ソ連のプロパガンダのための音楽で「壮大な愚作」」などと評価されたりもしましたが、偽書とも言われている「ショスタコーヴィチの証言」においてこの作を「スターリンによって破壊され、ヒトラーによってとどめを刺された」レニングラードを意味すると書かれたころから評価が変わってきたそうです。また、それとは別に「ファシズム、それはもちろんあるが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である。その後、ドミトリー・ドミトリエヴィチは、第7番ではファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いたと語った。」という、ショスタコーヴィチの隣人であったとされる人物の証言もあり、現在ではショスタコーヴィチはこの作品においてナチス・ドイツのみならずソ連政府の暴力をも告発しているのだという説が有力になりつつあるそうです。これに伴い、記憶を現代に伝える歴史的な記念碑的作品としての見方も強まり再評価されてきているそうです。

まー、この話の流れ全体を眺めると、11番、12番、森の歌はソ連を賛美してるからだめとか、11番は実はソ連時代への警鐘を鳴らしているからいいとかとか、なんか小さくて残念すぎる議論に通ずるものがあります。本質と離れたところで右往左往する様は愚かというかなんと言うか、もっと音楽自体の持つ力を感じようよとか思います(笑)

レニングラード初演は、1942年8月9日でした。未だドイツ軍に包囲されている中、レニングラード放送管弦楽団(現サンクトペテルブルク交響楽団)によって実施されたそうです。前線から団員を呼び戻したり欠員を補充したりしてなんとかメンバーを揃えたそうです。この日は、ドイツ軍がレニングラードに侵入する予定の日だったそうですが、レオニード・ゴヴォロフが特別に軍事作戦を発動し、ドイツ軍陣地へと激しい砲撃を行ったりしたためドイツ軍の攻撃が止み、フィルハーモニーホール近辺は静かであったとの話もあるそうです。また、レニングラード占領を予告した日にレニングラード初演が無事に行われた事を知ったヒトラーが激怒したとの話も残っているようです。

こんなダスビの演奏会、よろしかったらぜひいらっしゃいませ!
チケット無料で差し上げます。
指定席ですので興味ある方はお早めに!


2 Responses to “オーケストラ・ダスビダーニャ第19回定期演奏会のご案内”

  1. [...] 26位:オーケストラ・ダスビダーニャ第19回定期演奏会のご案内 初登場です!実に良い演奏会であったことよ。。。 [...]

  2. [...] 30位:オーケストラ・ダスビダーニャ第19回定期演奏会のご案内 告知系はロングテールwww [...]

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